こんにちは!
こうくん。です。(詳しいプロフィールはこちらから)
社会に出ると、よくこんな言葉を聞きます。
「もっと能動的に動いたほうがいいよ」と。
たしかに正論です。
でも、この言葉を聞くたびに少しだけ違和感があります。
能動的でいられる人と、そうじゃない人の違いって、本当に「意識」だけなんだろうか?
僕自身、中卒で働き始めて当初は受動的だったけど、途中から能動的に変わりました。
もちろん、能動的になってからの方が上手くいくことが多くなったわけです。
というわけで今回は「中卒の僕が実体験を交えながら受動的と能動的」について考えていきます!
中卒について全体を整理したい方は、こちらのまとめページもどうぞ。
受動的でいられるのは、環境が整っている証拠

まず前提としてだけど、受動的でいる人が、悪いわけではありません。
- 言われた通りにやれば進める
- レールが用意されている
- 次の選択肢が見えている
これは、環境が整っている状態です。
むしろ、安心して受動的でいられるのはかなり恵まれていますよね。
僕の場合は貧困から中卒で働き始めたので、「能動的にならざる得ない」状況だったわけです。
僕のように高校に進学していなくて「義務教育」までしか受けていない中卒の場合、社会で通用するものは何も持っていません。
武器になるのは「若さ」くらいしかなかったわけです。
けれども、何とかしないと詰んでしまうので、いろいろ試行錯誤をしていくうちに僕の場合は「能動的に」に変わっていった感じなんですよね。
主に「自分ができることを増やそう」と自己啓発にたどり着きました。
ここで言いたいのは「全ての中卒が能動的じゃないとダメ」ではなく、必要に応じて「受動的と能動的を使い分ける」ってことです。
世の中には言われた通りのことだけをやっていれば、上手くいくことだってありますよね。
全て自分の考えだけでは問題になってしまうことだってあるじゃないですか。
こうならない為にも、「上手く使いわけようね」って話です。
中卒は「待っていても進まない場面」が多い

中卒の場合、待っていても話が進まないことが多い。
- 学歴で説明できない
- 前提を理解してもらえない
- ルートが提示されない
だから自然と、自分から動くしかなくなるわけです。
これは「意識が高いから」とかではありません。
そうしないと何も起こらないし、どんどん埋もれていってしまいますよね。
実際に僕の場合も「埋もれないように」自己啓発で何とかしてきたわけです。
※僕が続けてきた自己啓発については下記の記事でまとめています。
けれども、「何もしなくても大丈夫」という状況だったら、受動的でもいいと思うんですよね。
無理に能動的になる必要はないと思います。
ハッキリ言って中卒で能動的に動くのってかなりキツイんですよね。
僕の自己啓発で例えるなら、仕事外でも勉強しています。
自宅に帰ってから、何かしら学びの時間を作っているし、年単位で目標を決めて取り組んでいるわけです。
このブログだって仕事から帰ってきて書いているし、記事が書き終わった後は本業に関連するものをインプットしたりしています。
もちろん、平日だろうが休日だろうが関係ありません。
けれども、これが「いきすぎると身体を壊すとこまで行ってしまうん」ですよね。
僕には何かに取り憑かれたかのように勉強していた時期があって、体調が悪くなってしまい、そのまま仕事に行けなくなってしまった過去があります。
能動的に動くのはいいと思うけど、ほどほどにするべきですね。
能動的=前向きではない

ここ、よく誤解されます。
能動的に動いている人が常に前向きとは限りません。
- 不安だから動いている
- 詰まるのが怖いから進んでいる
- 逃げ場がないから考えている
中卒の場合、このパターンもかなり多い。
追い込まれて能動的になるというケースです。
ここまで話してきたように僕もこのタイプですよね。
「ヤバイ=行動しなきゃ」っていうマインドで何とか生きてきたわけです。
中には「やる気あって意識が高い」なんて言う人もいるけど、「行動しないといけない状況」だから動き続けているだけなんですよね。
何もしなくてもいい環境なら、働かないし、一日中ゴロゴロして、お腹すいたらご飯食べて、なんて生活を飽きるまでしますよ!(笑)
環境というのは良くも悪くも、人にとってプラスにもマイナスにもなるわけです。
人が行動する理由って大層なものである必要はないと思いますね。

SNSやネットを見ると、能動的な人ってキラキラして見えるじゃないですか。
でも、実際はそんなことないと思うんですよね。
「不安だから勉強する、将来が怖いから行動する、失敗したくないから考える」のような動機も意外と多いんですよね。
だから僕は、行動する理由は何でもいいと思っています。
綺麗な理由じゃなくても、結果的に前へ進めるなら十分なのではないかなと。
受動と能動は「性格」じゃなく「立場」

「受動的か?能動的か?」って、性格の問題というより、立っている場所の違いなんですよね。
- 受動的で成立する場所
- 能動的でないと崩れる場所
このブログで何度も伝えているように中卒は、後者に立たされやすいんですよね。
だから結果として、「考える・選ぶ・動く」って経験が増えるわけです。
世の中は僕ら中卒の事情なんて、ほとんど聞いてくれません。
正直に伝えたことで逆にマイナスなイメージをもたれてしまう可能性だってありえます。
中卒の生存戦略じゃないけど、中卒であることを必要以上に明かさないようにした方が、何かと徳だと思うんですよね。
自分のいる環境の中でしっかりと「ポジション」を作ってからならいいかもしれないけど、ただ「自分は中卒だ!」って言いまわる必要はありません。
中卒という立場だと「能動的な人になりやすい」のは、「学歴」という身を守るものがないからです。
もし、中卒で環境に恵まれているのなら「受動的」でも全く問題ないですよね。
僕は受動的な人を見ると、「本当に受動的な性格なのかな?」と思うことがあります。
学校では受動的だった人が、部活では積極的だったりするし、職場では受動的だった人が、趣味の世界では行動力の塊だったりして逆のパターンもありますよね。
つまり受動性や能動性は、その人の本質というより「その環境で動く理由があるかどうか」の影響が大きい気がしています。
なので、人は意外と環境によって別人みたいに変わると思っています。
「能動的になれ!」は万能なアドバイスじゃない

「能動的になれ」という言葉は、便利だけど雑です。
環境を無視して使うと、ただの精神論になるじゃないですか?
- 受動的でも回る場所
- 能動的でないと詰む場所
この違いを見ないと、話がズレます。
中卒の話は、このズレが一番分かりやすく出るだけです。
でも中卒の場合って難しいんですよね。
受動的だと本当に誰でも出来るような仕事しかないし、能動的に動いても学歴で線引きされたりで進めなくなってしまったりするじゃないですか。
僕的には「受動的」「能動的」とかではなく「環境作り」が大事だと思っているんですよね。
「受動的でいたいのであれば動かなくても大丈夫な環境」「能動的でいたいのであれば動かないとダメな環境」を作ればいいと思います。
社会では「能動的な人が評価されやすい」けど、状況に合わせればいいだけですよね。
人って本当に必要な状況にならないと動けないですし。

能動的な人を見ると、「自分には無理だ」「元々そういう性格なんだろう」と思う人もいるかもしれません。
でも僕は違うと思っています。
僕自身、最初から能動的だったわけじゃありません。
むしろ何をしていいか分からず、周りに合わせていただけの時期もあったんですよね。
ただ、「自分で調べる」「自分で考える」「自分で決める」って回数を増やしていくうちに少しずつ変わっただけです。
能動性って才能というより習慣に近いもののような気がしています。
中卒は「能動性の筋トレ」を早く始めただけ

中卒は、最初から守られているものがありません。
だから、
- 自分で決める
- 自分で修正する
- 自分で責任を取る
この回数が増えやすいわけです。
それは誇れる話でも、自慢する話でもなく、ただ、そういう環境だっただけです。
確かに自分で判断することが多いし、他の学歴の人よりも早く社会に出ている分、能動性は高くなると思うんですよね。
その変わりに受動性は低くなるわけです。
僕だけかもしれないけど、中卒って早期に学歴のレールから外れているので、自分で考えて進んでいくような「単独行動」は得意だけど「人と足並み揃える」のような集団行動は苦手なんですよね。
なので、受動的のような受け身の行動が苦手になります。
おわりに
今回は「中卒の僕が実体験を交えながら考える受動的と能動的」についてでした。
「受動的がダメで、能動的が正解」のような話ではありません。
大事なのは、「自分がどの場所に立っているかをちゃんと理解しているか?」ということです。
中卒という立場は、それを考えざるを得ない場面が多いと思います。
だから結果として、能動的な思考が鍛えられやすい。
それだけの話です。
では、そんな感じで、
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以上です!!
ありがとうございました。
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