こんにちは!
こうくん。です。(詳しいプロフィールはこちらから)
SNSやブログ、動画などでよく見かける表現があります。
「中卒の自分でも分かりました」ってやつ。
これを見て、嫌な気持ちになるわけじゃないけど正直、ずっと小さな違和感がありました。
この記事では、その違和感の「正体を責めず」「持ち上げず」で整理してみます。
というわけで今回は中卒の僕が考える「中卒の自分でも分かった」についてです。
この言い回しが生まれる理由

まず前提としてなんだけど「中卒の自分でも分かった」という言葉は、
- 謙遜
- 自信のなさ
- 相手への配慮
こうした感情から自然に出てくることが多いと思うんですよね。
決して、
- 学歴を下げたい
- マウントを取りたい
というような悪意があるわけじゃないわけです。
これは「暗黙のイメージ」のようなものが影響していると思うんですよね。
僕自身、中卒で25年以上社会人をしている中で感じているんだけど、みんな口には出さないけど「中卒=全てが下」のようなものがある気がします。
僕のような中卒は確かに「学歴」という土俵で比較された場合は下に見られても仕方ありません。
何も情報がない状態での学歴というラベルは、社会的価値を決めがちになってしまうので、学歴が低い中卒を人間的にも「下」という判断を取る人が一定数いるんだと思います。
その中で言葉的に「中卒でも理解できた=誰にでも理解できる」のような難しさを消すスパイスのように使われているわけです。
「簡単です。」というものの比較の対象に「中卒」が使われているのではないかと。
でも、無意識に含まれている前提がある

ここが違和感の正体になります。
この言い回しには、無意識にこんな前提が含まれていますよね。
「中卒=分かりにくい、理解が遅い、知的ハードルが低い」
言っている本人で一番その前提を自分に向けてしまっているわけです。
中卒で社会人に出たばかりの頃の僕がそうだったんだけど、義務教育しか受けていない中卒で社会に出ても「武器」になるようなスキルや技術は何もありません。
その中で、自分で模索しながら方向性を見つけていくんだけど、これがまた難しいんですよね。
僕の場合は、運よく「自己啓発で自分を高めて生きていく」ってのが見つかったから良かったけど、自分に合ったものが見つからない状態が長く続くと「どうせ自分なんて学歴もないし…」のように自己肯定感が下がっていってしまいがちになります。
で、さらに学歴に強いコンプレックスを持っていた場合「攻撃されたくない」って気持ちが強くなり、必要以上に自分を下げてしまうわけです。
何かを教わった時に「中卒の自分でも理解できた」って聞くと「そこまで自分を下げる必要があるか?」と僕は思ってしまうんですよね。
「わかりやすい説明で理解できました。ありがとうございます。」でいいじゃないですか?
「中卒」というものを引っ張りだしてくるから、中卒のマイナスイメージがどんどん膨れ上がっていくのではないんじゃないかな。
卑下は謙遜でも防御でもある

先ほど少し話したけど、この言い回しは、
- 叩かれないため
- 出る杭にならないため
- 先に自分を下げるため
の防御反応でもあります。
でも防御として使い続けると、
- 自分の立ち位置を下に固定する
- 周りにもその前提を渡してしまう
という副作用が出てしまうんですよね。
だからこそ、必要以上に自分から進んで「下」」になる必要はないわけです。
下にも上にもなる必要はないと僕は思うんですよね。
だって、「下」になれば何でも下にされるし、「上」になれば叩かれたりするじゃないですか。
評価は周りが決めるけど、自分の生き方は自分で決めて「自分軸」で行動していけば「自分を下げよう」なんてならないと思うし生きやすくなるわけです。
で、その行動の延長上に「評価」というものがついてくるので、中卒の場合は無理に評価を取りにいく必要はないと思っています。
「分かった」という事実だけで十分だった

冷静に考えると、
- 分かった
- 理解できた
それだけで、本来は十分です。
そこに「中卒の自分でも」という前置きは必要ないんですよね。
もともと昔から、僕のような中卒のイメージはあまり良くなかったじゃないですか。
多様性の時代になってきて、だいぶ薄れてきたような感じはするけど、社会では学歴差が出ることはよくありますよね。
よくありがちなのが「語彙力」だと思います。
以前よりかはマシになったと思うけど、仕事で自分より学歴が遥かに高い人と会話していると、自分の話し方がすごく「幼稚で稚拙」に思えて仕方なかったんですよね。
すごく恥ずかしくて「話したくない」とまで思っていたが時期ありました。
もしかしたら僕のような経験をした人が「中卒の自分でも」って使ってしまうのかもしれませんよね。
僕自身も、昔はよく使っていた

正直に言います。
僕も社会に出たばかりの15歳の頃は、
- 中卒だけど
- 学歴ないけど
という前置きをよく使っていました。
理由は単純で、その方が安全だと思っていたからなんですよね。
やっぱりね、10代で働いていると大人達から「学校は?」って聞かれるわけです。
明確に理由を述べても「高校くらいは行かないと将来大変」ばかり言われました。
で、何かを言い返すと「世の中を知らない子供が」みたいに攻撃されたりあったので「中卒だけど文字読めます」「学歴ないけどできる事から頑張ります」みたいに下げている時期があったんですよね。
年齢を重ねるうちに学歴の話なんてしなくなったけど、始めのうちは置かれている環境と現実を加味して、自分を下げるようにしていた時期がありました。
違和感に気づいてから、やめたこと

ある時、この言葉に違和感を覚えてから一つだけ決めたことがあります。
- 学歴を前提に話さない
- 分かったことは、ただ分かったと言う
それだけです。
すると、
- 話が変にズレなくなった
- 学歴の話題が自然に消えた
ことが増えました。
まぁ、働いていても違和感がない年齢になってきてから、学歴の話がなくなってきた感じですかね。
ここら辺くらいから「個」を見てもらえるような感じになってきました。
どうしても自分の付加価値に学歴を入れてしまうと、僕のような中卒だとマイナスになりがちなので、「個」を見てもらえる状況は転機になりましたね。
仕事で結果が出始めた時期でもあるし「考える」という事の大切さを強く理解したタイミングだったかなと。
これは「使うな」という話ではない

誤解してほしくないので、はっきり言います。
- 使うな
- ダメな言葉だ
という話ではありません。
ただ、「その言葉を使うことで自分がどこに立つか」それを一度だけ意識してみてほしいわけです。
僕は人に意見を言えるタイプだけど、中には「苦手」っていう人もいますよね。
そういう人にこそ自分を下げることで「役に立つか」を意識して欲しいと思います。
それで生きやすいのなら良いけれど、逆であるのなら無理に使わない方がいいです。
「無理に使うなって、どうすればいいのさ?」って思うかもしれないけど、ここは「考え方」になるわけです。
この記事だけでは伝えきれないけど「自分の中で中卒というラベルの位置が決まっていない」から振り回されてしまうと僕は考えています。
宣伝っぽいけど、このブログでは僕が高校に進学せずに中卒で詰まずに25年以上生き抜いてきた「考え方」や「中卒との向き合い方」を整理しているので、読み漁ってくれると何か参考になるものが必ずあると思います。
ぜひ、ご一読ください。
中卒を下げなくても伝わる

中卒であることを隠す必要はない。
でも、
- 毎回下に置く
- 免罪符として使う
必要もありません。
理解できたことは、そのまま出していいと思っています。
なんだか矛盾しているように感じるかもしれないけど、「場所を選んで」という事です。
「臨機応変」っていうのは曖昧で分かりにくい言葉だけど、上手く使い分けることが「中卒」というものと付き合っていくのに重要だと思います。
おわりに
というわけで今回は「中卒の自分でも分かった」についてでした。
「中卒の自分でも分かった」という言葉は、
- 優しさ
- 謙遜
- 防御
から生まれることが多いわけです。
でも同時に、
- 自分を下に固定する
- 中卒のイメージを強化する
側面もあります。
責めなくていいし、戦わなくていい。
ただ一度、前置きを外してみる。
それだけで、言葉の立ち位置は少し変わるはずです。
では、そんな感じで、
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以上です!!
ありがとうございました。
