こんにちは!
こうくん。です。(詳しいプロフィールはこちらから)
正直に書きます。
中卒として生きてきて、ずっと感じていたことがあります。
「あれ?なんか自分、周りと考え方が違うかもしれないな」って。
ただ、先に言っておきたいんだけど、
- それは才能自慢じゃない
- 優れているという話でもない
- 貧困だったから凄いでもない
この記事では「考え方が違う」と感じてきた理由を冷静に整理してみます。
というわけで今回は中卒の僕が感じていた「考え方」についてです。
違いを感じたのは「能力」じゃなく「前提」

僕が違和感を持ったのは、
- 勉強ができた
- 頭が良かった
からではありません。
違ったのは、
- 物事を見る前提
- 判断の基準
- 危機感の位置
たとえば、
- 先にリスクを考える
- 失敗の重みを大きく見る
- 安定を過剰に重視する
これらは、能力じゃなく育った環境の影響を強く受けているんですよね。
例えば、僕は貧困を理由に「早く自立したい」という気持ちから、中卒で社会人になりました。
当時の僕自身は「生活が楽になった」という比較的に「良い判断」の方に捉えていたけど、社会では「高校に行かないのはヤバイ」という「悪い判断」に取られる方がほとんどだったわけです。
このような経験から「根本的に考え方が違う」と感じるようになったんですよね。
当然、中卒での社会生活は苦労はあるけど、僕にとっては自由への第一歩のような選択でした。
自分で家庭を持って子育てまで終えた経験から今振り返ると、当時の僕は周りとの生活水準の違いから、「貧困」というものにコンプレックスを持っていたんでしょうね。
もし、僕が昔に戻ったら進学しているかもしれません。
僕の場合は貧困から派生して中卒になったので学歴自体には、それほどコンプレックスはないんですよね。
社会に出てから25年以上経つけど、今ではお金も学歴の事も考えなくなってきました。
それは「中卒で生きていく方法」を身につけたからだと思います。
貧困は「思考の方向」を変える

貧困環境にいると、
- 余裕がない
- 選択肢が少ない
- 一度の失敗が致命的
こうした前提で生きることになります。
結果、
- 無意識に先読みする
- 最悪を想定する
- 感情より現実を優先する
こういう思考癖が身につくわけです。
これは強さでも弱さでもなく、生き延びるための調整だと僕は考えています。
金銭的に余裕がないと「選択肢が少なく」なるんですよね。
僕が育った家庭環境は両親が無職で、内職で生計をたてる家庭でした。
内職で稼げる金額なんてたかが知れているじゃないですか。
とにかく最低限の衣食住以外にかかるお金は「無駄」と考える親だったので、習い事や玩具などの選択肢はなかったので、僕はいつも周りの子達との話題についていけなかったわけです。
こういう経験から「自分でも知っていて友達も興味がある話題」のように先読みして考える習慣がついたと思います。
自然と頭の中で人との会話をシミュレーションするようになったのも子供の頃に身についたものですね
周りと噛み合わなかった理由

自分が優れているとかではなくて、子供の頃から学校でも社会でも、
- なんでそんな慎重なの?
- 考えすぎじゃない?
そう言われることがありました。
でも今、自分が子育てまで終わった経験から考えてみると分かる気がするんですよね。
- 周りは「余裕前提」で動いていた
- 僕は「生活前提」で動いていた
前提が違えば、判断が噛み合わないのは当然です。
子供の頃って相手に気を遣って「社交的な会話」なんてできないじゃないですか。
だからこそ「共通のもの」が話題になりやすいわけです。
さきほど、少し話したけどお金が絡むような共通なものは、ほとんど選択肢になかったので、イジメられているわけじゃないけど周囲と「話が合わない」って感覚は子供ながらにありました。
稀に友達と映画をいくにしてもお金がないので、親の内職を手伝って資金を作っていたんですよね。
友達が「親がお金くれたら映画いこうよ!」って中で、僕は小学校から帰って毎日内職を数時間手伝って、映画代を作ったりしてたわけです。
もちろん、子供の頃は「貧乏」なんて思われたくなかったので、周りには一切言ってません。
でも、僕にとってたかが「映画代」でも重みが違っていたんですよね。
中卒で社会人になったばかりの頃もお金を使わないように、水筒やおにぎりを作って節約していたので「若いのに節約なんかして変わっているね?」なんて不思議がられたりしていたわけです。
僕からしたら節約より「お金がない」という状況の方が怖かったんですよね。
当たり前のように周りの人達は「お金は使うもの」って認識でした。
よく「子供らしさがない」「妙に落ち着いている」「人生一周してる感じ」みたいな事は言われてましたよ。(笑)
「違う=上」ではない

ここ、すごく大事です。
考え方が違うからといって、
- 優れている
- 正しい
- 深い
わけじゃありません。
ただ、違う条件で最適化されてきただけです。
環境が違えば、身につく思考が違うのは当然じゃないですか。
それ以上でもそれ以下でもありません。
昔から「生活ベース」の考え方が強いので、「人生を楽しむ」という娯楽のお金の使い方が僕は極端なとこがあります。
車が好きなんで趣味にお金を使っていた時期はあるけど、基本的に他には必要以上にはお金は使わないです。
でも、結婚してからは価値観が少しずつ変わってきたので、奥さんには感謝しています。
例えば、僕は食べ物にこだわりがなくお金をかけること自体が「無駄」という考えが強かったんだけど、奥さんから「食を楽しむ」というのを教わって少しずつ変わってきたわけです。
昔の僕は外食なんて無駄でしかないと考えていました。
だって、菓子パン一つとカップラーメンで500円くらいで収まるのに、外食にいくと何倍ものお金がかかるじゃないですか。
こんな感じで食べ物に限らず、様々な事を教えてくれてだいぶ価値観が変わったわけです。
結婚当初は僕の生活感を「戦後ですか?」ってよく言ってましたよ!
僕が気をつけていること

「考え方が違うかも」と気づいてから、意識していることがあります。
- 自分の判断を絶対視しない
- 周りの感覚を否定しない
- 違いを説明しようとしすぎない
違いは、説得材料じゃなく調整材料として使うようにしてる感じです。
「自分を持つ」っていうのは大切だと思うけど、自分の考えだけで動いていたら社会に出て孤立してしまう気がするんですよね。
例えば、僕の感覚だったら職場でお昼に「ラーメン食べ物に行こう」ってなっても、内心は「ラーメン高いんだよな。カップラーメンなら半分以下の値段だし」のようになってしまうけど断り続けるのもコミュニケーション的によくないので、付き合いでいったりするわけです。
別に卑屈ではないけど僕の生活ベースの考え方って、あまり納得できるものでもないし、他人からしたら興味をそそるものでもないので社会生活では、自分の生活ベースの考え方は出さないように気をつけています。
同じ中卒の人でも僕の考え方を「理解できない」って感じでした。
そりゃ、いくら学歴が同じでも育った環境が違えば思考も違いますよね。
違いを武器にしようとすると歪む

過去の僕は、
- 自分は分かっている側
- 周りは浅い
そんな考えに寄りかけたこともあります。
でもそれは、
- 孤立する
- 話が通じなくなる
- 学べなくなる
一番まずい方向だったんですよね。
社会に出たばかりの頃の僕は、自分でお金を稼ぐようになって「親のお金で進学している人達」を「親のすねかじり」って思っていて「みんな甘やかされている」って考えていたわけです。
でも、こんな考え方していたら当時の友達と遊んでいても「くだらない」って思うようになってきて段々と苦しくなってきたんですよね。
ある時に「仕事」と「プライベート」を切り分けて考えるようになってからは楽になりました。
本当に社会に出たばかりの頃は、ひねくれていた感じが強かったんですよね。
別に勉強も嫌いじゃないし、学校だって嫌いでもないけど、金銭的に余裕がないので「働かない方が苦しい」って感じだったので周りが羨ましかったんでしょうね。
違いは「理解したら楽になる」

考え方が違うと気づいたことで、
- 無理に合わせなくなった
- でも距離は取りすぎなくなった
- 自分を責めすぎなくなった
優れていると思わなくていいし、劣っていると思う必要もありません。
「ただ、違うだけ」って考えられるようになってからは、本当に気が楽になりました。
歳を重ねてくると「昔は楽しかった」なんてのがあるけど、僕はないんですよね。
昔は考え方が今よりもっと浅かったし、幼稚だったので戻りたいとも思いません。
何でもそうだけど「考え方の違い」を前提で話せるようになると、物事がスムーズに進みますよね。
時には議論が必要な場面もあるけど、違いを前提としていると意見の押し付けがなくなるのでトラブルも減りますし。
おわりに
今回は「考え方」についてでした。
中卒の僕は、たぶん元から考え方が違っていたわけです。
でもそれは、
- 才能でも
- 優越でも
- 勲章でもない
育った前提が違っただけ。
それに気づいてから、
- 自分を過大評価もしない
- 過小評価もしない
この位置に立てるようになりました。
違いは、誇るものじゃなく扱うものだと思っています。
では、そんな感じで、
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以上です!!
ありがとうございました。
