こんにちは!
こうくん。です。(詳しいプロフィールはこちらから)
僕は貧困だったこと自体が、一番しんどかったわけじゃありません。
本当にきつかったのは「自分だけ、社会と噛み合っていない感じ」の感覚でした。
この記事では、貧困という背景を持って育った僕が、なぜ社会とズレていると感じていたのかを今の視点で整理します。
というわけで今回は貧困から中卒になった僕が考える「社会とのズレ」についてです。
ズレは「出来事」じゃなく「前提」から生まれる

貧困の話をすると、よく想像されるのは、
- お金がない
- 物が買えない
こういう分かりやすい話ですよね。
でも、ズレの正体はそこじゃありません。
- お金がない前提
- 余裕がない前提
これが、思考の土台になっています。
僕は貧困が嫌だったんじゃなくて「周りと同じ選択肢がない」ってことが辛かったんですよね。
「世の中お金じゃない」なんて言葉があるけど、お金がなければできないことはたくさんあります。
お金がないのなら「知恵を使えば?」なんて声もあるけど、知恵だけでは解決できないことがあるじゃないですか。
僕の経験だけど小学生の頃は、まだ何となく家庭によっての収入格差を感じていなかったけど、中学生になると、徐々に明確になってきたんですよね。
部活動をやりたくても「ユニフォーム代が高いからダメ」学習塾に通いたくても「無駄なお金」友達と同じゲームが欲しくても「ゲームなんかなくても生きていける」のような感じで、どんどん選択肢が狭まっていくわけです。
親に「なぜいつも反対するのか?」を聞いても全てお金が理由でした。
「なんでもかんでも好きにしたかった」ってわけじゃなく、「挑戦」のような、自分に変化が起こるような選択をしたかっただけなんですよね。
自分で働き始めるまで希望がもてずに精神的に余裕がない状態でした。
周りと同じ行動が取れない理由

先ほど少し話したけど、
- 進学
- 習い事
- 友達との遊び
周りが当たり前にやっていることを、同じテンポでは選べないんですよね。
必ずと言っていいほど、
- お金の計算が先に来る
- リスクが大きく見える
- 「無駄」に敏感になる
これだけで、会話も判断もズレていくわけです。
もうね、お金が絡む話題になると親がすぐイライラし始めるんですよね。
家の中の雰囲気は悪くなるし、すぐに声を荒げるので子供ながら「お金の話=しない方がいい」って判断でした。
小学校高学年くらいには「お金に関する話は何を言っても通じない」って悟っていたので、諦めやすい性格になってましたね。
ここらへんから「うちは違う」という認識が強くなったわけです。
社会は「余裕がある前提」で設計されている

大人になってから、気づいたことがあります。
社会の多くは、
- 少し失敗しても大丈夫
- 遠回りしても戻れる
という余裕前提で作られているじゃないですか。
でも貧困側にいると、その前提が最初から成立していないんですよね。
だから、
- 話が合わない
- ノリが悪く見える
こうしたズレが生まれるわけです。
自分で働き始めるまでは、お金が絡む付き合いには全く参加してません。
たまに友達同士で「遊園地行こう」ってなっても反対されるのは分かっていたので「興味ない」って断り続けていると「ノリが悪い」って声がかからなくなったりありましたね。
段々と話も合わなくなっていったりして、友達にも気を遣わせているのを感じていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいだったわけです。
こんな感じで貧困前提と、ある程度の余裕がある前提では違いが出てしまう事があります。
ズレているのは「能力」じゃなかった

昔の僕は、
- 自分がおかしい
- 空気が読めない
そう思っていました。
でも今なら分かるけど、ズレていたのは、
- 感覚
- 優先順位
- 危機感の位置
のように、能力じゃありません。
どうしてもお金に余裕がないと「自分の考えよりお金を優先してしまう」んですよね。
社会に出てからもしばらくは貧困思考だったので、友達にカラオケを誘われても「あまりお金使いたくないな」って毎回断ってしまったり、外食を誘われても「カップラーメンでいいや」って断り続けていれば自然と「誘っても来ないやつ」みたいに人が離れていってしまうわけです。
大人なってから考えてみると、感覚のズレや優先順位の付け方もおかしかったし、何より危機感に対しての過剰反応が交友関係にも影響を及ぼしていたと思います。
中には貧困家庭でも豊かな心の人もいるかもしれないけど、僕は全て悪い方に持っていかれていました。
貧困は「視野」を狭める。でも「解像度」は上げる

正直に言います。
貧困は、
- 選択肢を減らす
- 余裕を奪う
これは事実です。
でも同時に、
- 現実を見る目
- リスク感覚
- 人の言葉の裏
こういう解像度は上がるし、自分の武器に変換することだってできます。
ズレは、弱さだけじゃなく「自分の強み」にもなってくれるわけです。
例えば、現実を俯瞰して見れているからこそ、自分のやるべき事が明確に分かったり、リスクによく気付くようになったりします。
でも、現実をしっかり見すぎて「思い切った行動が中々取れない」って部分もありますよね。
僕が社会と噛み合い始めた瞬間

社会と噛み合い始めたように思えたのは、貧困を否定した時ではなくズレている前提を理解した時です。
- 無理に合わせない
- でも閉じこもらない
- 自分の感覚を基準にしすぎない
このバランスを取るようになってから、だいぶ楽になりました。
お金がない事による選択肢の違いは、今だにあると思っているけど、何でも「お金がないからダメ」なんだと思い込んでいた時と比べると生きやすさが楽になりました。
なぜかと言うと昔は自分から周りの環境に合わせようとしていたからズレがあったんですよね。
そこを今は「自分の環境に合うような選択を取る」という基準になりました。
ここに気づけてからは「自分合わせ」になったので、無理に背伸びしたり、焦ったりすることがなくなったわけです。
同じズレを感じている人へ

もし今、
- 自分だけ浮いている
- 話が合わない
- 社会が冷たく感じる
そう感じているなら、それは性格の問題じゃないかもしれません。
「育った前提が違うだけ」という可能性はかなり高いと思います。
考え方って環境でいくらでも変わるんですよね。
だからこそ、昔の僕のように「貧困」に振り回されてしまうのなら、環境と自分を切り離して考えてみると、気が楽になるはずです。
一度、物事の見方を外に向けてみると案外、簡単に悩みが消えるかもしれませんよ!
ぜひ、試してみてくださいね。
おわりに
というわけで今回は、貧困から中卒になった僕が考える「社会とのズレ」についてでした。
貧困だった僕は、貧困を理由に社会とズレていると感じていた。
でも今は、こう思っています。
- ズレは異常じゃない
- 前提の違いが生んだ感覚
それを理解できたことで、
- 自分を責めすぎなくなった
- 社会との距離を調整できるようになった
ズレていると感じたら、まずは自分を疑わなくていいので前提を疑えばいいのです。
それだけで、少し生きやすくなります。
では、そんな感じで、
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以上です!!
ありがとうございました。
